「復活」ではなく「新たなスタート」 THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR関西公演総括

15年ぶりに開いた宝箱は、しまった時よりパワーアップしていた!!!
それが、率直な今の気持ちである。
自分の感性とか、時代とか、環境とか、変化とか、成長とか。
そういったものがないまぜになって、今がある。
2016年7月は、15年という月日の大きさを改めて感じる1ヶ月だった。


2016年1月(奇しくも申年)、突如発表されファンを歓喜させた、ザ・イエロー・モンキー15年ぶりの再集結。5月の代々木公演から始まったツアーも7月に入り、ようやく関西で公演を目撃できた。
私自身も、解散前からライブに通ってきた筋金入りのファンの一人。解散の発表時には怒りをぶつけ、ソロに複雑な思いを動きながらも、メンバーが仲違いしていないこと、各々元気そうな様子を見て、「いつか」を、心の底では期待していた。
けれど、彼らは安易にそれを選択しなかった。とても大事で、大事すぎて、活動を休止して再開させることができないまま、その宝物が壊れる前に自ら壊したバンド。それがイエローモンキーだったのだ。
デビュー20周年だとか、解散したはずのバンドなのに折に触れ特集などが組まれると、メンバーはイエローモンキーについて忌憚なく語ってくれるようになった。
それでもやはり、「バンドが本来持つDNAが発揮されないならやってもしょうがない」(吉井)なんて言うもんだから、やっぱり再結成っつーのは難しいのかな、なんて考えてもいた。

再集結が発表されてから、この半年はこの日のためにあった。
代々木初日を迎えて、わたしは小さなパソコンの画面で彼らの再集結の幕が開くのを見たけれど、それからも、自分が生で見られる日まで、日本や世界に何事もなく、自分も、そして何よりメンバーも健康でいてくれること、それを祈り続けた。大げさだけど。

2016年7月5日、大阪城ホール
カウントダウンが0になり、バラ色リミックスが止まり、プライマル。のイントロが流れた瞬間、わたしは15年前のわたしと同じ気持ちになっていた。
けれど、15年も経てば何もかもが違っている。
イエローモンキーを見に行っていたころには、まだ人前でギターを弾いたことはなかったし、
ライブハウスに行ったこともなければ、フェスにも行ったことがなかった。
大学に進学した。社会人になり、新聞記者として9年働いた。
ニートもやった。アニメにどハマりして同人活動までするほどのオタクになった。
そして2016年のわたしは、パンチドランカーツアーのころのメンバーと同じ年の頃になっていた。
ライブの演出は飛躍的に変化し、リアルタイムでレポを知れる環境になった。
プライマル。のイントロからしばらくは、涙でステージが見えなかった。

ステージに立つは、15年分の回り道、いや成長を遂げてきたメンバーの姿。
けれど、スタイリッシュなルックスは往年のままだ。
いや、深く刻まれた皺はもちろんあるし、どこで調達したんだっていうギラギラした華やかな衣装はあいかわらず時代に合っているものではないけれど、すらりとした容姿のままファンの前へ姿を見せてくれたことには感動を禁じえなかった。

会場を埋め尽くしたファンもそうだ。それぞれに、15年の重みがある。あるいは、初体験に心を踊らせる人も。
それが、異様なまでの熱気を生み出す。

ツアー2ヶ月を経てきたステージ上の彼らは、あくまで自然体だった。
一度は崩れかけ、持ち直そうとしたがうまくいかず、壊れる前に失くすことを決意したメンバーたち。
当時は悲しくて、腹立たしくて仕方なかったそれが、正しい決断だったこと。
もはや解散すら、通過点のひとつにすぎなかったこと。
再集結というドラマチックな展開のために解散したのではないかと思わせるほどに。

それが、3時間を通して、圧倒的にねじ伏せられるような、そんな内容のライブだった。

過去のトレースだけではない「今」の表現。
円熟味を増したパフォーマンス、というよりむしろ、彼らの無垢なまでの楽しげな姿が胸を打つ。
彼らこそが、誰よりこのリユニオンを心待ちにしていたのだろう。
再集結にあたり、吉井和哉はメンバーにこう持ちかけたという。
「イエローモンキーじゃなくてもいい。この4人でバンドがしたい」
そんなプリミティヴな喜びが、ステージ上に満ち満ちていた。

振り返れば、当時からけったいなバンドだった。
洋楽かぶれのルックスでありながら、歌謡曲的なメロディーを得意とし、どのジャンルにもカテゴライズできない、唯一無二さ。
新しいようで古く、古臭いようで最先端。オリジナリティ。
そのせいだろうか、今こうして復活しても、そういった意味での変なタイムラグを感じないのだ。
それは彼らが貫いてきたバンドとしてのスタイルが、とりもなおさず普遍的だったという証だろう。

15年を経てパワーアップしたものもある。
各々の演奏力はもちろん、歌詞のメッセージ性が持つ説得力が、尋常でないほど増しているのだ。
「日本も、皆さんも、僕たちも、いろいろあった」
MCで吉井が語る通り、この15年で、価値観が崩れ去り、反転するような出来事がなんども起こった。
それでも、だからこそ、吉井が普遍性を込めたメッセージが、今になってさらに大きな力をもって響くのだ。
「JAM」だけでなく「バラ色の日々」が各地でシンガロングされているのがその証拠だろう。

「15年間、ワインのように寝かせた」バンドと、そしてその音楽は、メンバーの中で、ファンの中で、15年という月日とともに膨れ上がり、復活の日を迎えた。
こんなバンドが、これまでにあっただろうか?
もはや復活などにとどまらない。
これは新たな物語の始まりだ。
やはりイエローモンキーは、新しい日本のロック史を切り開くバンドなのだ。

一度はなくした「イエローモンキーの存在する人生」
2016年になってまさかまた、「イエローモンキーの存在する日々」が来るなんて、奇跡以外のなにものでもない。
彼らがこれから作る物語をともに歩めること、何よりも幸せだ。
大げさだが、生きててよかった、そう感じられる1ヶ月だった。