鬱鬱
超長文注意
やめた方がいいよ!帰んな帰んな!
なんか最近鬱鬱してますよ
このわたしが
いやたまにそういうモードのときあるけどさ…
根暗って言葉とは無縁の生活を送ってきたわけだけど
小さいころは神経質な子どもだったのね、わりと
通知表の所見欄に「思いこみが激しい」て書かれたりとか
なんしか当時は今からは想像もつかないくらい
繊細な子だったんだなあと…笑うところじゃねーよ
当時はなんかもう天気が悪いだけで不安っていうか
ほんと繊細だったんだなぁ
ただ雨が降るだけってわかってるはずなのに
世界に対する見識がまだなさすぎて
漠然とした不安があったのかなとか、今になってそんなふうに
考えたりとかもするけど
今でもよくわかんない
家庭環境とかはしっかりしてたはずだけど
おかーさんがわりと…躁鬱とかではないけど
激しい気分屋だったこととかも多少起因してるのかもな
まあかわいそうだからわざわざそんなこと言わないけどさ
何かに怯えているのは今もそうで
なんかとにかくもー気分がスカッとしない
こんなときにすかっとしてる人間誰もいやしないだろうけどさ
自分がウツウツしてるからってどうなるわけでもないし
だったらさっさと募金箱にもう千円つっこんでこいよ
っていう話だけどそれだけで何か解決するわけじゃないし
(しないよりした方が役には立つけど)
地震が起きて週が開けるまでの間は
とにかくずっとテレビの画面から津波警報、注意報が消えなくて
それだけで恐ろしかったし
津波て繰り返しくるし
何度も大きな余震は来るし
それこそいろんなところへ津波も余震も波及して
そこここで揺れ出すわ、変なツイート見ちゃうわ
(3日後くらいに東南海くるみたいな)
とにかくそれで情緒不安定だった
自分がいたところも結構揺れのひどいところだったから
ふわふわしちゃったのもあるし…
ただ地震来るだけで関西人のびびりようったらないからなぁ
いつも言ってたのは
中途半端に阪神を知ってるから不安だけがでっかくて
神経症みたいになってるってこと
誰かから分析してもらったりとか治療やカウンセリングや
受けたことはないけど、自己分析で多分あたってると思う
慣れ親しんだ祖母の家が全壊して
でも祖母はほぼ怪我なくすぐに助け出された
隣のおうちの方は亡くなったりはしたけど
自分がいたのは兵庫県の北だったし
家のものが多少倒れたりするぐらい、揺れは強かったけど
特に実害が自分に及んだわけではなかった
でもゆかりのある場所があんなふうになって
おんなじような年代の子たちが亡くなったり
孤児になったり、避難所にいたり…
自分があんなふうになったらどうか?
て自分に置き換えて考えたとき
それが元気なときだったらいいけど
わたしってばヘタレだし
すぐ体調崩すし
胃痛いとかいうし、すぐ吐き気するし
お腹弱いし、風邪ひきやすいし
風邪ひいてないときにしか地震が来ないなんてことはなくて
ヨロヨロになってるときに地震がきたらどうしよう
でもこの若さなのに、避難所で何もできなかったら?
生きてる意味ないのではないか?
ほんとに生き残れるのか?
水もなしに?
とかそういう、妄想ばかりが暴走するわけですよ
普段「わたしなんて死んだらいいのに」みたいな思想って
まったくもってわいてこないのに
こういうときは「もう死んだほうがいいだろうな」
とかそういう思想になっちゃう
名前でもついたら楽なのかなぁとか
最近それこそちょっと心療内科だのそんなところに
話しに行きたいとか考えるくらい
でも聞いてもらってどうにかなるのか?
まあそりゃだいぶ不安は解消されるかもしれないけど
誰もが不安なのは今の日本では一緒だし
覚悟は絶望を吹き飛ばす!
といったのはプッチ神父だったか
このセリフにはだいぶ救われたというか
ちょっと蒙を啓かれた感じはあったけど
じゃあ何の覚悟をすればいいのか?
何が怖いのか?
自分がこの状態で被災当事者になるのが怖い
というのは誰しもあることだと思うし
自分も例にもれずそうだ
だけどじゃあどうして今自分は被災してないのか?
あの人たちに被災するような理由があるのか?
ないから、運命を大きくわけるのが
ただの運だから、それが何より今怖いんだ
今までだってだいたいのことは「運」だった
この仕事にありつけたのだって
この家に生まれたのだって
あの日あの電車で死ななかったのも
阪神のとき神戸にいなかったのも
今関西にいるのも全部運だ、たまたまだ、偶然だ
運だけで生死が決まっていいのか?
いいわけはない
だけど人生ってそういうあっけないものであって
神という存在がいるのならば
わたしはそれこそ、自殺なんて許されてるわけがない
わたしたちはただ生かされて生きるだけだ、とまで思ってる
分かりやすく言えば、人間なんて「そんなもの」
としか思ってないっていうか
自分たちで何かできるほど立派な存在なはずがない、と
3週間が経過した今だって
まだ余震は多いし、緊急地震速報は鳴るし
あれはデマだったって言われたとしても
東南海が今日来るとも明日来るとも来年来るとも50年来ないとも
何とも言えるわけはない
用心に越したことはないし
だったら何に対しても保証なんてないわけで
日本は豊かな生活だから
いくら仕事が突然なくなったりとかしても
すぐにでも明日のおまんまが、というほどの
切迫した社会ではない
だからそういう社会で慣れて甘えた自分たちが
こんなふうにシステムが潰れた社会で
生きていけるわけがない、と思っちゃう
システムを構築してきたのは
経験や歴史を生かしてきた人間なのだから
どこでだって人間さえいれば
きっとシステムってのはまた構築できる
実際、役場が流された場所であっても
別の場所に集団で移転したりして
ちゃんと機能させてるところはいっぱいある
当事者自身であるというのに、だ
そういうような覚悟がまったくできていない
自分にはそういうの「絶対無理」ってなぜか思い込んでいる
なぜだか「なんとかなるだろ」って今回の場合思えない
それはどうしてだろう
絶望的な惨状をテレビでばっか見てるからかもしれないけど
一言で言うならば「ヘタレで根性なしだから」て終わり
なってみなくちゃわからないけどね
地震津波だけじゃなく
今回の場合は原発が波及してるのがまた…
当初はどっちかっていうと
「安全厨」ていうタイプだった
数字はごまかせないし
そうやって発表してるんだったらそうじゃないの?と
今でもまあ基本的にはそう思ってる
疑ってかかったからってどうにかなるわけじゃないし
危険厨不安厨は
どれだけ言っても結局「信じたいものしか信じない」から
煽るものしか信用できなくなる
それもわかる
「ただちに」は「将来いずれか」の影響だし
基準値が定められてる以上、それより多いのは
やっぱり問題があるわけだし
原爆や東海村の事故みたいに
すぐにひどい症状が出て死ぬ、じゃないなら
まだましかとか思っちゃうときもあるし
結局想定外っていうやつも
千年に一度であろうが10年に一度であろうが
起こる危険性が万にひとつでもないわけじゃないのなら
絶対に想定しないといけなかったんだよね
原発みたいな反対意見の多い危険なものなら特に
だけどやっぱり現実を生きるならば
津波想定が10メートルなのと
15メートルなのとでは
Mが1違うだけでも
被害想定が全然変わってくるのなら
それだけ予算が多く必要なわけで
結局ずっと「そこまでの津波や地震がきたら
原発云々でとどまらずに、もう日本や世界が終わりだろう」
ていうのがあったんじゃないかと思う
「想定」てのはいつも越えてくるもんだし
どこまでを「想定」しておくべきか
お金が絡む問題なら余計
結局そうやってやってきたものが、最終的にこのざまなんだろう
危険なのはいやだけど
この暮らしに慣れたあたしはこの便利な暮らしがなくなるのもいや
今すぐに西日本がどうこうとは言われてないけど
このシステムではもう立ち行かないことは明らかで
だけど環境のことも考えなきゃいけないし
かといって風力発電なんかでも実害はあるし
だったらどうすればいいの?
技術者でもないし
やっぱり便利になりすぎたのがいけなかったんだ
こんなに電力使ってバンバン勢いづいてるのがダメだったんだ
そんなこと思ったって
一度手に入れたこの生活を
失うのは惜しすぎる
だってこの国に生まれたのだって「運」だから
このラッキーを手放したくはない
湯水のごとく電気を使って
便利な生活をし続けたい
これからも技術は伸びる
すげー暮らしが送れるんだ
ハイブリッドだ
て思ってた自分がバカみたい
もうそんな暮らしはこれから奨励されないんだ
田舎町に行って
自然のきれいなところに行って
やっぱこういうところでの生活もいいなぁ
人間らしいのかなぁ
て思うことはあったって
それはあくまでシティライフがあるから言えるわけで
ネットも通じてないような場所なら
やっぱそこでは生活できないよ
ママンにそんなことをだらだら言ってたら
珍しくいつもは文句ばっかりなのに
「戦争からかて復興してんからいけるて」
て楽観的なことを言う
今そういう強さが自分にはない
まあたかだか30年しか生きてない人間と
戦後すぐから高度経済成長を見てきた還暦との違いなんだろうけど
だいたい戦後はほんとにゼロからの出発だったじゃん
それまでの暮らしがすげえ豊かだったわけでもなし
でも今は完全にマイナスからだ
警鐘を受け入れずやってきた人類が悪いのかもしれない
電力と豊かな暮らしと自然てのは
もともと相いれないものだから
今わたしたちの目の前で起きていることってのは
日本だけじゃなくて、世界的に見て
人類が直面してる進化VS自然ていうのの
究極のところなんじゃないかと思う
還暦の人間なんて
これから先、年金の制度やらなんやら
せいぜい心配して老後のことだけど
わたしたちの世代だとこれから社会を担わなくちゃいけないし
こんな不安だらけの中で次の世代を育成しなきゃならない
かといってこんな中で子ども産んで育てられるのか?
とか思うし
先祖代々が守ってくれた日本は大好きだけど
英語勉強して日本から逃亡したい気持ちもいっぱいだし
そんなこと考えてたら
いいようにいったら大局的にものを見られてるとも
言えるかもしれないけど
目先のことに一生懸命になれない
今すぐ日本がなくなるわけでもないのに
将来にもう完全に希望が持てない
このまま電力の問題で生産能力が落ちて
経済は失速して日本は没落していく
入れ替わりでほかの国がどんどん発展して
日本は落ちぶれていくんだ…と思ったら
もういたたまれない
ほんとに不死鳥のごとく蘇ることができるんだろうか?
今の政府やいろいろのやり方を見ていて
そんなふうに信じることや希望的観測が
今わたしにはまったくできない…
日々の仕事にも何かやる気をもって取り組めない
いつ終わりが来るかわからないし
今日という日は一日しかないから
だったらやれることをやろう
というのは分かってるし
そういう生活が送れるのがベストだし
そうならなきゃいけないことは重々承知だけど
「そうならなきゃいけない」
「被災した人たちのために」
「これからの日本のために」
そういう文言になんだか押しつぶされそうになる
そんなに自分を鼓舞しなくちゃいけないの?
ただ単にこの日本の窮状に、
おセンチになりたいだけなんだろう、私が
たぶん被災地の人たちのほうが
よっぽどもう前を向いて必死になってる
エア被災もいいとこ
勝手に弱気になって、勝手にセンチメンタルになって
勝手に空虚な気分になって
それをまたTLやブログでふりまいて…情けない
自分の今を知るには
こうして何か書きつけていくしかない
ある意味セラピーみたいなもんだけど
公表せずひっそりしてりゃいいのかもしれないけど
なんだかこれを撒き散らさずにはいられない
そんな勝手な心持もある
余震が落ち着けば
原発が落ち着けば
めどがたてば
寒くなくなれば
桜が咲けば
4月になれば
いろんなきっかけをつかんで
浮上しようと考えてる
だけど何もできない
引っ張ってもらいたいのに
何にも引っ張ってもらえない
4月になって楽になったかと思ったけど
まだこんなことを言って人を困らせる
当事者でもないのに
別に普通に生活してます
細々と好きな本読んだりテレビ見たり
楽しいこと見つけて過ごしてる
仕事だってそれなりにちゃんとやってる
一体何に文句があるんだろうね
わかってはいるのに…
そしてこんな長文書いちゃってどうするんだろうね
ただ単に自分の思いをまとめて
今の自分がどうなのかってのを自分に問いたかっただけ
きっといやな気分になったでしょう
読んでくれてありがとう