17日が明けた
なんだかほっとする

帰りは、上司たちと会議のあと飲んでて
いつもより遅くなった
月と星がとてもきれいだった
このところの寒さに比べると少しマシだった

近づく車を横目に道を横断しながら
わたしなんかが生きていてごめんなさいと
今日も心の中で叫んだ

この近くもあの日ガレキとなって
苦しみながら亡くなっていった人がたくさんいる
そんな人たちに顔向けできる生き方ができているだろうか
そう考えることがとても苦しい
でもそんなことを苦しいと思っているような人間が
のうのうと生きていていいのだろうか

死んでだれかの教訓になるために
生まれてくる人なんかいない
どうして教訓にされなくちゃいけないんだ
だけどそうでもしなきゃ浮かばれないのでは
いつもそうやってぐるぐる考える

この日の神戸の空気は特別だ

朝日のまぶしさがちがう


ひんやりしていて、絶望に満ちていて
でも希望も見えて
静謐
神聖
静かだけれど、その静けさが
何より雄弁にあの日のことを語る

生き残った人にも
亡くなった人にも
意味なんかあるわけない
あってたまるか
命に優劣はないのだ
ほんとうにたまたまだ

だから今日も生きる
ただ生きる
いつも不謹慎なノリの自分も
この日だけは背筋が伸びる
終戦記念日と似た気持ち
胸を張れる人生ではまだないけど


震災犠牲者の方々に心から冥福を祈ります



誰だよ黙祷をささげる代わりに静かにRTなんつった奴は
いい年こいたオッサンが恥ずかしげもなく言いやがって
ドヤ顔が透けて見えらぁ
関西圏外で「震災があった日だよ
忘れてないだろうな」とPRするには
一定の効果があるかもしれない
だけどな
「代わりに」って何だよ代わりにって
せめて黙祷ぐらい捧げろ
どうしてもRTしたいなら並行してやれ
なんで黙祷はしないんだ
ksksが