ひふみよ 小沢健二コンサートツアー 二零一零年 五月 六月@大阪国際会議場メインホール100618

14年ぶり2度目。
何かって思うわな
甲子園に古豪が帰ってきたかのよう。
それよりもっとすごいお祭りなんだけども。
なんたって、オザケンといえば、あたしの音楽の元締め
一番最初に好きになったアーティスト
そして、人生で初めてコンサートを見た人
「レヴュー96 甘夏組曲・ダイヤモンド組曲
大阪城ホールに、田舎からいそいそと出かけていった

雲隠れしていつのまにかフェードアウト
気付いたらおかしな活動家みたいになってて
自分が激しい音楽に傾倒したときには
初コンサートがオザケンってちょっと恥ずかしい
なんて思ったことも例に漏れずあったけれど
彼の音楽に対する世間一般の評価も、自分の中での
彼の音楽を愛する気持ちも一向に萎えることはなく
今となっては誇らしい気持ちで、彼の音楽に向き合い
その音楽をとらえた自分の感性に自信を持つようになっていた

という、わたしの彼に対する、神信仰というか
それはそれは壮大な愛というスタンスをまず知っておいてください


オザケンを知ったのは、中学生のとき
中2かなまさしく

LIFE

LIFE

LIFEが出たあとくらいで、やたらテレビにでるようになったとき
まだ始まってそれほどたってなかった
ダウンタウンのヘイヘイヘイを見て
東大出だの、すごい賢いだの、家柄がいいだのいってて
挙句「王子様」とか自分で言っちゃってるし、子猫ちゃんとか言うし
でも顔はたしかにかわいいし、ちょっとナヨナヨしてたけど
あんまりキモいとかそういう感情は抱かず
むしろ「おもしろいなぁこの人」って感じで興味を持った

しかも曲がびっくりするほどキャッチー
そのときはそんなことなにも考えてなくて
ヒット曲のひとつとして聞いてたけど、それがすごくいい曲だったから
なんの疑いの余地もなくファンになっていった


当時はネットなんて発達してなかったから
どれくらいアルバムが出てるかとかもわかんなかったけど
すごく好きだったからシングルもたくさん買い集めたし
ファーストアルバムも自分で買った
あれは成人の日の近くぐらいで、雨の寒い日に
CDショップをうろついたせいで、ひどい風邪をひいて
気づいたら肺炎になっていた
あとにもさきにも、肺炎になったのはさすがにあのときだけだ
食欲のかたまりのあたしが、うどんすら食べられなくなる
くらいの弱りようだった

そんときずっと、病床で聞いていたのがオザケンファースト

犬は吠えるがキャラバンは進む

犬は吠えるがキャラバンは進む

ライナーノーツのよくわからない賢そうな文章に
中2真っ盛りのわたしは熱くなった
こういうのが書ける秀才になるにはどうしたらいいのか
少しでもオザケンに近づけるようにいろいろ考えていた


雑誌などからなんとか情報を得ることはできて
サブカル誌に載ってるのを偶然見つけたりとか

JAPANもクイックジャパン太田出版フリッパーズギター
全部その時期にあたしの中に入ってきたものだった


きっとファンそれぞれが、失われた時を重ねながら
この公演を見つめ、楽しんでいたんだと思う
わたしの場合は14年間だったけれど
もっと長い人、もう少し短い人もいただろう
オザケン不在の間、みんなはなにを聞きなにを見て
なにを読みなにを体験しなにを感じてきたのか
それをほんとうにそれぞれが、オザケンの音楽を通じて
公演を楽しみながらも振り返っているような気がして
そういう濃密さが会場全体を覆っていた。吐き気がするくらいに


オザケンがいたからオリーブを読むようになって
「ドゥワッチャライク」(コラム)にあこがれた
ああいう文体は多少あたしの中にも入っているはずだ

哲学やニューアカの話でひと周り上の年代の人たちと盛り上がれるのも
外国人モデルと、あの独特の北欧っぽいおしゃれ感に惹かれたのも
ギャル系JKみたいなものに寄り道することなく
王道の美しいもの、すてきなものというカルチャーを
進んでこられたのも
JAPANに出会ったのも

そこから、これから売れようとしてるスピッツウルフルズ
エレカシイエモン、ミッシェルガンエレファントなんかを知る
カーネーションとか真心とかもぜんぶそう
遠くをたどればルーツが一緒のDMBQは、実は裏渋谷系
コーネリアスフリッパーズスカパラスチャダラパー

全部全部あの人が起点で、あたしの中でつながりを構築してくれた
あの人に出会っていなければ、カルチャー的な部分で
今のあたしは絶対にありえないのだ

そして、カルチャー的な部分では
自分の人生の充実度に完全なる満足を覚え
自信を持っているあたしからすると
ほんとうに彼の功績は、あたしの中で国民栄誉賞ものなのだ


フリーペーパーを通じて知り合ったお姉さんたち
ずいぶんとあたしの大人びた(ただの中2病やったけどね)
聡明さを褒めて伸ばしてくれた
向学心が旺盛になって、勉強することが悪じゃないと思ったのも
ポップが悪じゃないと気づかせてくれたのも彼だった


あのときすでに震災は起こっていた
あれから高校受験をした
進学校に進んだ
なんだったら引っ越しとかも考えてたから、
多摩にあるオザケンの母校の資料を請求したこともあった
東大はあこがれのまま終わったけれど
哲学や美学に興味を持ち、勉強できたのは彼のおかげだ
ありとあらゆるわたしの部分を構成してるのは彼がいたからこそだ


後期のオザケンはそれほど熱心に聞いていたわけではなくて
例に漏れずビジュアル系も通ったし
イエモンにハマって今度はメインストリームから一気に
寺山修司とかのアングラへいった
真心とかにもいった
ヒップホップも聞いた
ガレージとかそっち系のロックも
昭和歌謡みたいなオールドロックも
ゴリゴリのダンスとかテクノも聞くようになった
おじさんのクラシックも聞いた
大学に入ってギターをひいた
彼氏もいちおうできた
バイトをした
就活した
卒論を書いた
就職もした
まさかって感じだがなぜだか新聞記者になった
初めて行ったコンサートのレポを
何日もかけて詳細につづっていたあの子は
それを生業にしてご飯を食べている


それぞれが彼から受けた影響と、それに及ぼされた自分の来し方
そんなことを考えたんだと思う
オザケンは見事にそれをぜんぶ歌に込めたメッセージで回答してみせた
カタルシスっていうのかな
わたしたちの歌声とともにぜんぶ今までの思いが
昇華されたような気がした


あのとき王子様とかなんとかつってもてはやされてたけれど
彼の音楽の力は15年たっても色あせることはなかったし
当時彼を好きだったわたしたちは裏切られたわけでもなかったし
間違っていたわけでもなかった

全部を肯定して、これからの未来に進んでいける
大げさだけれど、全員がきっとそんなふうに思ったに違いない
彼が今後どう活動するのか知らない
けれどあの場で披露してくれた新曲たち
いろんな色のあの曲は、彼がこの不在時に
わたしたちと同じように変わってきた自分の中から表現したものだ
14年の不在を埋めるように、これから彼と一緒にこの時間を過ごしていけたら
本物の音楽の力を見せてくれた彼に、そう願わずにはいられない

以下はコンサートについてのメモ
盛大にネタバレしていますのでご留意



▽14年前のあたしに言いたい。お前の音楽センスは最高だ
間違ってない。14年後を楽しみにしてろって
14年前、14年ぶり、14歳、28歳、当時の彼、28歳
なんという因果だろう。これが感慨を覚えずにいられようか

▽数字の考察の話
「ひふみよ」は「1234」のひふみよだったんだね
何度もそのカウントが入る
ひの倍はふ、みの倍はむ、よの倍はや、いつの倍はと
家族は倍数のものを買う。言葉の響きで日本人は数をとらえていたらしい。それを理解した人が数学をやっていたらなぁ

▽ツアーにくるお客さんは歌詞が完璧に入ってるから自分が間違うと困る
必ずどっかで演奏や歌詞をとちるけど楽しくやっててあと3回かと思うと寂しい

▽歌詞間違えたので地団駄踏んだ

▽SEが途中で突然途切れて客電が落ち、そのまま流星ビバップ
真っ暗なまま。でも声だけで14年前にもどれる
声はよく出ていて最後までのびのびと歌い上げられている
とても楽しそう。でもあの独特のヘタウマさというか
決してうまくはないのは変わらない
それが余計安心させる。そして涙がじわり
途中で朗読へ。ニューヨークでの停電の話
価値観が大きく覆る夜。ホームレスのおっさんが大活躍
次の日からまたいつもの日常にもどるけれど
暗い中で歌を聴いた一晩のことは忘れない
門構えに音と書いて闇
再びビバップの続きへ。ボルテージ最高潮。
ここで観客全員が「真っ暗な中で聞いた音楽は忘れない」
という、このコンサートに対するオザケンの並々ならぬ真意を知る

▽僕らが旅に出る理由。途中でステージの照明がつく
遠いから顔まではわからないけれど、あの背格好
たたずまいはあのときの彼そのもの!
ギターは変わらずギブソンハミングバードだろうか?
歌詞がいちいち身にしみて素晴らしすぎる

▽朗読。貧困の話。規模の差はあれど、いつも貧困を差別する
上を見ても下を見てもする。

天使たちのシーン。この流れは反則すぎる。涙が止まらない。ここまでのセットリスト、実は心で号泣している

▽新曲。いちごが染まる。なんかタイトルに反して渋い

▽ローラースケート・パーク〜東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー〜ローラースケート・パークへ
面白い。なんでこんなまどろっこしいことするのかはわからんが
面白いので許す
「歌いましょ」「踊りましょ」でみんなで足あげたりなどのフリがある
いい年こいたおっさんらだがかわいらしい
そして、彼らがいい意味であのときと変わっていないことに感動する
鼻をつけて「オッケーよ!」で背伸びしてたあのときと

「ありとあらゆる種類の言葉を知って何もいえなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ!」
「意味なんてもう何もないなんて僕が飛ばしすぎたジョークさ」
など変わらずぐさりとささるフレーズ
恋愛専科は昔とコーラスが少しちがう。でもかわいい
というか猛烈に恋がしたい
「こんな恋を知らぬ人は地獄へ落ちるでしょう」は
昔から胸につきささってきた言葉だが、いちばん鋭いナイフである
そうだなとりあえず言えることとしては、まさかあのとき
28歳の自分がまだ結婚もしていなくて子どももいなくて
恋人すらいないなんて少なくとも思ってなかったよな
まあ、新聞記者で一見バリキャリってことがもしかしたら
一番のサプライズかもしれないが

▽ラブリーのコーラス練習
「お待ちかねのこの曲は今から1時間後にやります
先にコーラスの練習です」相変わらず歪みねえな小沢面白すぎるwww
「ライフイズカミングバック」→「感じたかった」
「Can’t you see the way it‘s a?」→「完璧な絵に似た」

▽安全の話。安全ボケ
自転車乗るときだけ日本人はアジアの魂全開になる
キリスト教とかとはちがう感じ
死んじゃってもいいやってな感じ
意義あるカローラ2への流れw
なにこのダウナーなカロ2wかっこいいw

▽痛快ウキウキ通り
このへんはけっこうメドレーっぽくつながっていく流れ?
プラダの靴がウォーーーーー!」で笑うw
お客さんがやってたやつやけど
当時プラダはこの歌で知った

▽天気読み。ハウスっぽいリズムとベースの音がとてもかっこよくて
何事かと思った
この曲の真価を改めて知った
すごくかっこいい曲で、ただしっとりしただけの曲じゃなかった
モータウンだしハウスぽくもあって新しい!
「君にいっつも電話をかけて眠りたいよ
晴れた朝になって君が笑ってもいい」というフレーズから
こっそりギアメロ変換してしまったのはひみつだ…
でもよく考えれば、当時すでに腐っていたよな…

▽戦場のボーイズライフ。こちらもメドレーの1部分という感じ
この曲は当時やってくれなかったんじゃないかな
大好きな曲だったのですっごく嬉しかった
このときからディスコ風の曲もワウのきいたギターもモータウン
ぜんぶあたしの中にあったんだ
音楽を受け入れる素地がすべて出来上がっていたことを思い知る
ディモールトよく学習している

▽髪をかきあげる腕の細さ。そしてあのしぐさ
まごうかたなきオザケン
でもきっとかきあげるその髪はずいぶんと後退し、
その顔にはシワがあるはず
ただ顔も見えない距離で歌を聴いている分には
当時とまったく変わらない

▽強い気持ち・強い愛。名曲。テンション上がる
踊りたい。結婚式でかけたいwww

▽前にいるカップルは夫婦のよう
きっと当時オザケンを聞いてドライブしたり
コンサートに来たりしたんだろうな。わかんないけどw

▽会場は元オリーブ少女、草食系男子などがわんさか
14年、みんなは何を聞いてきたんだろう。それが聞きたい

▽ホールコンサートで手拍子って大嫌いだったけど
今日はやらずにいられない。この距離を埋めるのがその方法しかない
しすぎて手がひりひりする

今夜はブギーバック。まさかこの曲までやってくれるなんて?!
ていうかまさかラップを客に歌わせるとはね!
お客さんソロがあるからって何かと思ったw
ミラーボールがきれいだった
面白かった。完璧にラップパートが合唱できる客もすごいと思う
とにかく歌詞の出て来方がはんぱない
あの当時覚えた歌って忘れないんだ
美しい詩に歌いながら何度もはっとする

▽夢が夢なら。まったりゆったり。こちらも歌詞が美しい
うっとりする。レヴュー96で披露されて
いつまでも覚えていられた
必死で覚えてたんだと思うけど
メモした記憶が残っている
そういうことも、14年ぶりに懐かしく、丁寧に思い出しながら聞く

▽麝香。Eclecticはほとんど聞いてなかったけれど
セトリは調べていたので予習済み
はっとするほど色気のある曲
でもR&Bというよりモータウン
ひそひそとささやくように歌っていたCDとは違い、力強い
セクシー

▽朗読5。民族性の話?他国へ行くほうが
自分のアイデンティティを感じられるみたいな話だったかな
そういうらしさを意識して作った曲へ

▽シッカショ節。ああでもオザワはこういうの好きだったじゃん
河内音頭のあいまによろしくってwもう1回で2回まわす

▽説教くさかったり、なんちゃら節とかつくって
岡林信康みたいになってたらどうしようと思ったけどw
オザワはオザワのままだった
王子様ではないかもしんないけど
もともとあいつオリーブの連載でもああいうこと言ってたじゃん
MCでもいろいろしゃべってたじゃん
それをああしてきちんと朗読という形に落とし込んで
ショーアップしてるだけだよね

▽朗読中のBGMも13拍子の新曲だそう
もう忘れたけど変な振り付けだけは覚えてる
「迷ってる人はドウゾ」。やっぱり何も変わってない

▽さよならなんて云えないよ。ワンコーラス歌って
「オッケーよ」で自然と体が動くことに笑ったw
そのままメンバー紹介へ。「おざわ〜」
真城さんの声やっぱり大好き
真城さんでコーラス学んだ気がする
だから一緒に歌うのも、ほとんどコーラスの方w

▽さらにドアノックへなだれこみ
なんでこういう恋愛があたしにはできてないのかが
この14年間で最大の疑問である。どこにいる?!早く見つけろ!

▽しかし歌詞のすらすら出てくること!びっくりする
手拍子、そしてあの「ドアノックダンス」
!右!左!右左右!wちゃんと覚えてる。そして楽しい!

▽ある光…やってた?ワンフレーズだけやった?

▽新曲「時間軸を曲げて」
竹林のようなまっすぐ降り注ぐ何本もの照明が美しい
新曲の中では一番好きかもしれない。発表されるのを待ちたい

▽お待ちかねの「ラブリー」。会場の一体感たるやすごい
14年ぶりのもっとも幸せな空間
今まできっとアーティスト、本数ともに100にのぼるくらい
14年間(というよりここ十年くらい)で見てきたと思う
踊れる、泣ける、笑える、うまい、いろんなアーティストに出会った
でもオザケンを超えられるのはオザケンしかいなかった
14年ごしで、もっとも「幸せ」で「楽しい」ライブだった
ほかの何者でもかわりのきかないもの
ただ踊るだけ、歌うだけじゃなくて。意味が違いすぎる。
自分の中で、ね。
もっとうまくてもっと踊れてアガれるライブはいくらでもあるけど
そういうのとは違うんだなぁ

▽流れ星ビバップを3人編成の小規模な感じで…
そしてこちらで歌を引き受け、終わり?

▽アンコール。いちょう並木のセレナーデ
会場からの掛け声がCDどおりw
アレンジの変化してる曲が多かったけれどこれはかなり元のまんまで
そういうのもやっぱり古参にとってはうれしかったり
あのときはなじみの無かった、御堂筋を思いながら聞く

▽「もう1つのお楽しみ」である「愛し愛されて生きるのさ」
「10年前は僕ら胸を痛めていとしのエリーなんて聞いてた」から
さらに約15年ってか。まさかの語り2回まわし
これにはさすがにちょっとびびったねw
終演後、同席したマコさんのお友達と感想
「まさかあの語り2回とはね」「はい。痴呆?って思いました」
と笑いあう。茶化しながらも真剣に楽しんでるんだけどねw

▽ショーとして完璧な形で、暗くなり終了
最後にメンバー一同で横一列に並び、無駄口…というかMC
大阪だけど掛け声かけて結婚のことを言うファンもおらずw
しゃべり口調も内容も当時と変わらない
いや結婚だってしてるしニューヨークで暮らして
本出して、講演会して、彼なりに14年間
いろんなことをしてきてるはずだ
当然変化してるし成長してるはずだ
だけれどあのキラキラした音楽を通じて
わたしたちはあの当時とそっくり同じ気持ちでいられている
音楽の偉大な力を改めて感じられた。幸せだ
その幸せはとりもなおさず、14年前に一番はじめに
生で彼が教えてくれたものである
懐古だけではなくて、新しい彼の音楽にも触れられた点でも最高だった