うちのコンビニチェーンは今、30周年記念ということで様々な記念商品を置いている。その中のひとつがファーストフードの「ビッグなんこつ入りつくね棒」というやつだ。従来のつくね棒の、30%増量で、お値段据え置きというお買い得商品である。

ただ、そうやって聞いていると「ビッグ」な「なんこつ入りつくね棒」だとわかるのだが、ひとくちに「ビッグなんこつ入りつくね棒」と言ってしまうと、「ビッグなんこつ」入りの(普通の大きさの)「つくね棒」なんだか、その「なんこつ入りつくね棒」自体が「ビッグ」なのか若干迷ってしまうだろう。そう、わたしはこういう何気なく使う言葉の修飾語が、どこにかかるのかを異常に気にするクセがある。つーか、そういうことを悶々と考えるのが好きだ。
きっとくだらないことだろう。

高校のころ、ルーズソックスを履いていたわたしたちは「ソックタッチ」という靴下の降下を防ぐ糊を足につけていた。その際に、ダルダルの部分や、足の太さ、長さのバランスを考えて留める位置を考えるのだが、稀に失敗してちょっと想定より上の部分に留めてしまったりすると「あ〜靴下上で留めすぎた〜」と言っていた。

しかし、当時の親友(彼女もまたこういうことを考えることが異常に好きだった。というか、以前ここで紹介した、現在ニートの彼女である)が「靴下を上で留めすぎる」っておかしいよねえ、と言い出した。

確かにそうである。冷静になって考えてみれば、「靴下を留める」という行為に「過ぎる」という概念はあまり関係しない。わたしたちが言いたいのは「上」が過剰だった、ということなのだから。

だからこの場合、我々が言わなければならないのは「あ〜、靴下を留める位置が上すぎた」というセリフなのである。

「当然じゃないか、バカじゃないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、案外世の中の人は気付かずに使っているものなのである。すぐに用例は出てこないのだけれど、こういう「すぎる」という行為と直接結び付けられないところにうっかり修飾してしまうということが。

こういうくだらないけれども、日本語を考える中で大事なことを、皆さんにもぜひ考えてみてもらいたいと思う。結構面白いです、正直。