たまにはまじめに


何か状況に対して思うことがあったとき
どうしてその感情が生まれたのか
そしてそれをどういう行動、対応でもってすれば
改善/解決/回避/継続できるのか
考えることが、世界とのじょうずな付き合い方

だとわたしは思っていて

世の中にはでも、それをしない人が多すぎるんではないかと


とりあえず吐き出す、つぶやく、爆発させる
聞いてもらう、と、それで終わって良いのか?と


まあそれでも十分、治療/対処たりえることもあるんだけど
根本解決にはならないよねぇ


まあ簡単なたとえとして
やりたいこと/やらなきゃいけないことが
たくさんあるけど時間が足りない、という場合

それが「つらい」「抜け出したい」状況だというのなら
時間の上手な使いかたであるとか
質のよい短時間の眠りをとる方法とか
健康な体をつくる食事とか
いろいろとアプローチの仕方はある

わたしはそういうことを考えていくのが大好きで
ひとつひとつ着実に、タスクリストを消していくように
こつこつやることが、目的に近づいていくってことを
実感できる楽しみを、最近とくに感じられるようになってきた
1歩というのは最初は途方もなく感じるけれども
1歩を踏み出さなければ距離は永遠につめられないわけで
千里の道も一歩からというのは
実に正論であるし
何をするにも遅すぎることはないというのも
まさにその通りなわけで



そういう自問自答をわたしが日常的にできるのは
小学校のころから日記をつけるのが好きで
多感な時期には何かしらエッセイ的なものを書き
ブログ文化が流行れば乗っかって
日々気付いた細かなことを更新し
つぶやきが流行れば、140文字で
思ったことと解決法を見つけていく
という使い方を、時代にあわせて登場したツールを
ただ漫然と流行だからと楽しむだけでなく
うまく有効活用できているからだと思っている

理詰めだけでは人生は動かせない
でも「考えるな、感じろ」では世界と向き合えない


大事なのは
「感じろ、それから考えろ」だ


ツイッター面白いです
140字で足りること、いっぱいある
そのときつぶやけばそれで十分なこと
それで思いを成就できること、消化できること
昇華できること、いっぱいある
そして、反応がいろんな場所の人から返ってくる
たまたまその時間、端末と向き合っている人から


都会で働いていると人が多すぎて
満員電車に乗っている人が大勢の中の1人でしかない
としか思えないことも多いけれど
ツイッターを通して、自分と同じように
それぞれの人に生活があり、思いがあり、顔がある
という当たり前のことを、
情報化社会の中でも、多様性社会の中でも
考えられるようになった
ちょっとした思いやり、とでもいうものだろうか


今の世代には想像力が足りないから
コミュニケーションがうまくいかないし
簡単に殺人などの事件が起こるというのは
よく言われていることだし、実際そうだとも思う


ミーハーだといわれようと
ネット文化は上手に活用すれば
そういうところを補ってくれるのではないか、と

自分の都合のいいときにしか向かい合わないで済むし
興味のあることにしかリプしないでいい、という向きもあるけれど
たまたま、自分と部分的に
趣味や嗜好や仕事、住む土地、聞く音楽読むものが似ていて
でもかたやまったく知らない一面を持っていて
その他面に触れたとき、新しい世界が広がり
世の中の多くの人たちが、自分と同じように
毎日何か不安を持ちながらも
楽しんで人生を生きていこうとしている
そういうことに、タイムラインを通じて触れられる


こんなに長く書くつもりじゃあなかったんだ
「真実に向かおうとする意志」の大切さとかでもって
まとめるつもりだったんだけども
この思考をお風呂の中で呼んでくれたのは
ほかでもないツイッターだったのでは、と
お風呂上りにつぶやきたいこととして
思いついたけれど、やっぱり140字じゃ足りないから


つぶやきだけですっきりするのはいいことだけれど
根本解決するには長い思考が必要


何が言いたかったかというと

ものは使いようってことなんだろうか・・・


久々にマジメに考えたら、よくわかんなくなってしまった


やっぱり、長々と考えること、書くことも
もちろん好きなのです

浮気ばっかりしてるわけじゃないよとでも
弁明しにきたつもりかなw


好きな形で情報発信して、自分の好きなようにツールを使い
いい人生にしていけたらな、と常々思っているけれど
ツイッターもそのひとつとして、生活を支えてくれている
というわけです

あーほんとにまとまんないごめん!
長く考えるといっつもそうなんだ!w
もう、テレビ見てくる!