どんな言葉を選んでもいつもまだ足りないんだ

今日、塩谷さんを取材させていただき
お世辞かもしれないけれどまたお褒めの言葉を関係者さんから頂く
ほんとによく音楽を知っていて
よく聞いてますねーって

そりゃあそうさ
あたしは報道畑に来る前から
ただのいち音楽ファンなんだから
ていうかロッキングオンに入り損ねて
なぜか新聞記者になった人間なんだからw
鹿野淳氏と正反対)

そうやってレコード会社の方に言われようと
やっぱり、ミュージシャンとの対話を
深く掘り下げようと思ったら
あたしには圧倒的に知識が足りない
そういうところでやりとりできる力量もないし
表現力もない

昔はそれで専門の道にいけないことを
くよくよしたこともあったけど
もしかするとこの距離感がベストなんじゃないか?
とまで思えるようになった


今日も塩谷さんを取材してて
そんなに前から聞き込んだわけではなかったけれど
きちんと自分なりに解釈し
自分の感想を持ってインタビューに臨んだ
それはどんなアーティストさんであっても一緒
そうじゃないと
一時間もタイマンで話なんて聞けないし
命を削って、心をこめて作品を作ってきた
アーティストさんにも、読者にも、そして
あたしの大好きな音楽にも失礼なんだもの


でも、聞くところによれば
やっぱり「全然こいつ聞いてきてねーな」
みたいなインタビュアーもいるみたい
名古屋で、あきらかにそう思われる記者がいた
という話をしてくれた


こちらとしても、心痛む面もある
いっぱい話を聞いたところで
芸能面にわりと好きなだけ自分の裁量で
デスクに突っ込めるうちですら
60―80行くらいのもの
(これはよそと比べると多い方、という意味)
ちなみに10字詰めで書いてて
一般的な地域や社会の記事が、40行
(原稿用紙1枚分が一般的と思ってください)
それからすると、倍は書けるわけだけど
会見や資料をもとに書くようなものであっても40行で
1対1でじっくり話を聞いたとしても
その倍程度しか書けない

むしろ、リード文(最初の10行でまとめてある要旨部分)と
経歴、ライブ告知、レコ発ならその収録内容
そんな情報だけで半分は必要なので
1時間のお話を、それこそ原稿用紙一枚くらいでしか
表に出すことができない

なのに1時間も話を聞く
というのが、心苦しいときもある
こんなに聞いても、使うのはごくごくわずかなんだぜ…?
とか思いながら


でもたとえ、それが少しの量であっても
話をたっぷり聞いた中で特に印象に残った一部でつづる文章と
15分聞いて、15分全部をつっこんだ文章だったら
明らかに熱量の差があるはず(と信じたい)
結局そんな労力で書いたものは、その程度にしかならない

だからあたしは、ぎりぎりまでじっくり話を聞くし
与太話もさせてもらうし
一般的な音楽ファンとしての自分を捨てずに
純粋な好奇心をもって、話を聞くことにしてる

音楽でごはんを食べてく人だもの
作品づくりには皆なみなみならぬ情熱を注いでる

あたしも音楽が好きだし
それ以上にアーティストさんは音楽を愛してるし
信じてもいる
それをじかに聞ける仕事なんて、どれだけ幸せなことだろう
そうしてあたしはもっともっと音楽が好きになるし
ほんとうにその力を信じさせられる


大体こわすぎない?
1対1で話聞く相手の
作品も聞かずに行くだなんて
しかも、話題はそのレコードが中心だよ?
そりゃ、15分くらいの取材だったら
それでもなんとかなるかもしれないけど
そしたら形式的な話しか聞けないじゃないか

聞いて、思うことがあって、それで初めて
その人や音楽に興味がわいて
コミュニケートしたいって思うんじゃないの?
そこが醍醐味のはずなのに
いくらい忙しいのか面倒なのか知らないけど
それは音楽に対しても人に対しても
ひどい冒涜行為だと思う

「どうでしたか?」って感想を求められたら
どうするんだろう?
よかったですよってだけ言うの?
日ごろ文章でごはん食べてる人間が?
言葉の表現力を日々磨いてる人間が?
それじゃあ通用しないよ


あたしだって、取材依頼の来る人たちが
みんながみんな、好きなアーティストでもジャンルでもない
でも、聞いてみたらやっぱり新しい発見があるし
本当に音楽が好きで、信じていて、作ってるものだから
そういう思いは伝わってくるし、感じ取りたいと思ってる
演歌であってもそれは思ってる

聞いたら当然、思うことができて
聞きたいことが思い浮かぶ
それでやっと、取材に入れるんじゃないかしら

なんてことを自然に思えたとき
あたしの中にも、それなりに仕事の流儀と
責任が、生まれてはきてるのだな、とちょっと思えた


今日思ったのは
塩谷さんが今回作った組曲を聴いていて
その低音の響きが素敵だったことから
ドビュッシーの「沈める寺」を思い出したこと

「Don't know why」はノラジョーンズが歌ってたやつってこと

不思議な力に支えられて、一人でも安心感をもって
演奏ができた、という話が
するっと入ってくるくらい、自分もそんな音楽のすごい力を
曲から感じたこと…
それをちゃんと具体的に伝えた
先方はとても喜んでくれた
レコード会社さんからは「権力があるなら引き抜きたい」
とまで言ってもらった


去年4月に芸能と文化の担当になってから
1年が過ぎて
でも企画力は上がらないし
相変わらずだめだめなところもいっぱいあるけど

これまで演芸関係が中心だったのが
今月たまたま、鬼のように音楽取材がしこたまあって
(素生さん、須藤さん、風味堂さん、小坂さん、樋口さん
高谷さん、前田さん、シカゴプードルさん、上地さん、塩谷さん…)
それがみんな、とてもいいアーティストさん
大好きなアーティストさん、メジャーなアーティストさんだったりして
てんてこまい、緊張していっぱいいっぱいになりながらも
1対1であたしはぶつかってきた

すごく忙しかったし、とにかく緊張したし
いっぱい消耗もしたけど
それだけ得られたものは大きかった
アーティストさんの誠意は伝わったし
音楽の素晴らしさもより深く理解できた

レコード会社がかんでるから
もちろん売り上げとかそういう戦略だってあるし
その一部としてのプロモーションだっていうのもわかってる
でも、アーティストさんは、自分を表現しよう
音楽の良さを伝えようと思って作品をつくってるわけだから
そんな熱意は、おのずと伝わってくる
つたない言葉を通しても、素晴らしい音楽を通じても


ここはあたしがずっと焦がれていた世界だ
音楽が大好きで大好きで
プレーヤーに憧れたこともあったし
今だって楽器を触るのは大好きで
ピアノもギターも続けてる
歌も歌う
どんなジャンルの音楽でも聞く
ライブにだって行く

それでもやっぱりあたしは
表現する側には回れなかったし
躍らせる方にもなれなかった

けど、それを実際にやってる人から
直接話を聞いて
音楽の素晴らしさをまた実感して
今度はあたしが
その素晴らしさやアーティストの熱意を
伝えるために、ペンを握る
自分なりの解釈をまじえながら
その素晴らしさを、いろんな言葉を使って紡いでいく

やっぱりやりたかったことは、これだったんだな
うまくまとめられたときの充実感
自然な表情を撮れたときのうれしさったら、ない
自分の言葉で、その音楽の良さをアピールできるだなんて


この仕事がどれだけできるかわからない
異動だってあるかもしれないし
会社がつぶれるかもしれない
死ぬかもしれない

でも、こういう仕事がたった1ヶ月でもできたなら
それで、アーティストさんや読者に、喜んでもらえたり
自分なりに、満足に表現できたなら

そんなうれしいことってない
1ヶ月でも1週間でも
そんな夢を見ることができるなんて
そうそうあることではない
なんて自分は恵まれているのだろう
だから、この幸せと、その責務をかみしめる

おかあさん…わたしは…天職にであいましたよ…

音楽と文章を愛し続けて、ほんとうによかった…
仕事がわたしを裏切らないのなら
ほんとうにこのまま、もうこの身をささげても、よかとです…