耳をすませない

なぜだかあのアニメだけは
どうしてもビデオでなく、放送してるものを
リアルタイムで見たい想いに駆られる

中二病全開なのに、なぜだろう
逆にそれがすがすがしいからか

昔はアホくさすぎて、恥ずかしすぎて
まともに見てられなかったが

社会人になってから、男子に異常に人気が高いことを知って
なんだか恥ずかしがることがバカみたいに思えてきた
それからは、どちらかというと男子目線で
このロマンチな感じを楽しめるようになったのだ

見終わるといつも、うなだれるような気分にはなるけれども
わたしのところに、聖司くんが来ることはないし
きみのところに、月島雫が来ることもない
ムーンに出会うこともないし
京王線にだって乗らない


追憶の中に希望はない

わたしにとって、10代のころに出会えて
よかったものってなんだろう
Flipper's Guitar?
小沢健二
デュラス?
寺山修司
重力の虹
オリーブ?

あのころこのアニメをリアルタイムで見ていたら
あのころわたしが「ニューアカデミズム」を理解していたら
あのころ本気でわたしが学問をこころざして
冨士谷御杖の「言霊論」に取り組んでいれば
10代で「ライ麦畑でつかまえて」を読めていれば
(ちなみに今も、本棚にはあるけれども読破には至っていない)

死にたいなんて言わない、勿論


帰りたい 帰れない さよなら カントリーロード

と完結していくのだ

ああ、すべてがきっちり符号しているではないか!


子どもが生まれたら、必ず、このアニメを
中学生の間に見せようと思う

アニメについて云々言うのは好きでない

宮崎アニメの女子は、いつでも、
もともと素直な明るい子が
思春期やスランプでちょっとだけ素直じゃなくなって
その心の葛藤から抜け出したとき
少女性を失わないまま、大人の女性になる
そんな型どおりな、なんて
そういうふうに言うつもりはない*1


とにかく、10代のころに出会っていれば、
人生がちがっただろうであるアニメだよなあ…

と書いているわたしは、結局昔録画した
DVDでもう一度「耳をすませば」を見ているところである


それにしても、大人になるにつれ分かるが
聖司は素晴らしく女子の心をつかむちょいS男だ
強気なことを言って自分であとからちょっと照れたり
さりげなく名前を呼び捨てにしたり
ツンデレだし
萌 え る


ちなみにあのアニメでいちばんいいのは、雫の家!
あの団地の感じが、強烈に懐かしい

そして、雫の姉ちゃんのしっかりぶりを見るにつけ
自分の情けなさを思い知る(でも何もしない)
んでもって、今だったらあの保健室で集まってる4人は
確実に、腐女子だなw

*1:今言ったなw