ハンドルを縛ったりハードルをくぐったり慣れるなんて絶対不可能さ

いつもヲチってる讀賣新聞サイト「発言小町
今日気になったのは、先生に言われた、された理不尽なこと


これ、前から書こう書こうと思ってて
書いたかどうか忘れてしまったけど
わたしも結構ある


小学一年のとき
わたしは今と真反対の、おとなしくおっとりしたお嬢さんだった
引っ込み思案でシャイだった
今、何がどうなってこんな真逆なのかまったくもって分からないくらい

当時、担任はベテラン(だったと思う)の男性教師
赤井英和みたいな雰囲気で、こわかった
高学年ばかりもっていて、あまり1年生などはもったことがない教師だった
そのように記憶している


くじらが空を飛んだ、という内容の物語を学習した我々は
それを図画の時間に、絵画で表現しようということに相成った
その中でわたしは、絵の中にヘリコプターを登場させ
ヘリから「くじらが空をとんだ!」とのぼりをぶら下げた

そうしたら、それを見た当時の担任が
絵をとりあげ、その字の部分を水でこすって消した
その部分はぬれた紙がボロボロとカスになって出て
乾いてからもずいぶん不恰好だった
「絵の中に字を書いたらあかん」
ということを言われたような気がするが
果たしてそこまでしなければいけないことだろうか

現代生活を送る中で、目に映る風景に
まったく文字が入り込まない景色なんてないのではなかろうか
それはわたしにとって、ただの景色の中のひとつだったのに
低学年のわたしに、そこまでして指導しなければならないことだったのだろうか
今でも何となく苦々しく思い出す


あと、ひょんなことから自分がカンニングをしたと勘違いされ
目の前でテストの答案用紙をビリビリと破かれたこともあった
まあそれは自分の行動が誤解を招く可能性の高いものではあったが
そんなつもりのなかった自分としてはとてつもなくショックだった
これに関しては、おそらく泣きながら帰ったため
母親が教師に抗議し、解決したと記憶している


2年生のときはオバチャン先生で、やさしかった


3年生のときはまた男性の先生で、こわかった

3年生くらいまでわたしは妙に体調が悪く
大体それは、メンタルの面からきていたように思われる
なんとなく不安なことがあったり、天気が悪くなると
今にも死んでしまいそうな心細い気持ちになり
気分が悪くなるなどの症状があった
今からすれば、ただの「思い込みが強い子」なのだが


その当時はいやな思い出がたくさんあるが
中でも覚えているのは、またしても図画の話


サザエさんの絵が、手の小ささ、顔の大きさから
正しくない、という話をされたあと
一人ひとりの絵を前で出しながら
わたしの絵の番になったとき
名前は誰ひとり言われはしなかったが
「これは完全にサザエさんになってしまってる例」
と糾弾された


手を広げたら顔と同じ大きさになる、なんて
そんなこと意識しながら絵を描いたことなんてなかった
大体子どもの体だ、まだそこまでいってないんじゃなかろうか
本格的な美術作品をそれほど見てきたわけでもない
子どもがふれるアニメや絵本ならば
そのような描き方もまたあっていいのではなかろうか


それでもわたしは懲りずに絵を好きなまま成長したが


苦々しい思い出は、あるときふと思い出したりする

もちろんいい教師にもめぐりあったが
それ以上に、ショックなことをされた教師のことは
忘れられないものである

案外そういった体験をしている人が多く
内心わたしも安心した
子どものころの心の傷は、誰もが抱えているものなのだ


タイトルは、ほかの体験談を読んでいて
ふと頭の中で鳴りだした
the pillowsの「TRIP DANCER」から


ハンドルを縛ったり ハードルをくぐったり
慣れるなんて 絶対不可能さ

僕の振り回す手が空に届いて
あの星を盗み出せたら何か変わるのか


あのころの教育と、そしてそれを苦々しい思い出として
抱えてる今

この詩はなんだか、それを想起させたのだ

今さら言ったってどうしようもないし
どうにかしたいとも思わない
でも、ただこの気持ちを抱えて、今日も明日も僕らは続いてく