久々に大型書店に行った。最近あまり時間がなくてじっくり回れていなかったのだけれど、ぶらぶらしてるうちにまったく自分の守備範囲外のコーナーにいて、雑誌だったけれど「仮死状態を活用する!」みたいな見出しが躍ってるものとかがたくさん並んでいて、久々にそういう未知の世界にふれて、「ああ、まだまだやることはたくさん残ってる、やらんくてはならんことがいっぱいあるのは、焦るけれど幸せなことだなあ」と思えた。よかった。あたしはまだ芯から腐ってるわけではないみたいだ。

もともと知りたがりのわたしとしては、知らないジャンルに異常なまでに興味を示す。たしかに、その大半は知らなくても生きていくのに支障はないものだと思う。でも、やっぱり知らないものがある世の中ってのは、なんだか損をしているみたいでいやだ。
知ってしまったことによって不幸になることがたくさんあるのも知っている、知識だけが自分の身を助けるなんて思っていない。でも、わたしは基本的に知ることを求めるタイプなのだと思う。

年をとるにつれて、それを面倒くさがる向きも出てきたし、それほど体力がありあまっているわけでもないし、やる気も出なくなってきていたけれど、久々にそう感じられて本当によかった。

株の本や靖国問題の本が売れている。
たくさんありすぎてどれに手をだしたらよいのかがわからない。
知らないことが、そして知りたいことが多すぎる。

事実は小説より奇なり、というけれど、やはりモノを書く人間になる上で、現実では体験しきれない世界に想像を廻らせることも必要だとは思う。時間が許す限り、物語の世界にも身を沈めたい、そうは思うけれども、ジャーナリズムに進むからにはやはり、早急に理論武装をすることが求められる。あまりにまっさらでも、人の話も理解できないようでは仕事にならない。

それにしても、株はいいとして、経済のしくみの本を買おうとしても、ミクロとマクロがあるし、歴史の本を買うにしても、右や左や世界や日本やいろいろあるし、ただ買うことだけでも、モノが多すぎて取捨選択するのが難しい。靖国なんてとりわけナイーブな問題だろう。

あたしのことだから、ちくま新書のやつなんかがきっと読みやすくてよさそうだけど、筑紫哲也なんかが絶賛している本を読んだってアレルギー反応が出るだけだと思う。今なら三浦朱門さん監修のものあたりがいいんだろうか。

こういう繊細な問題は、選択が大きな影響を及ぼすのだ。何も知識がないからこそ、自分の考えにそぐわないものをたやすく体に入れることはできない。むつかしいな。

てことで、本日購入した書籍はナツメ社の図解雑学「宇宙論」。これでバッチリだ!しかし、読んだところでそう簡単に理解できるわけではないのだな・・・。
なにぃ、しかも10個目の惑星発見だとぅ?!改訂、改訂を求めます!!

あと、久しぶりにファッション誌を。フィガロジャポンを購入。秋口のファッションは、よくレトロに回帰する。美しいリアルクローズ。観賞用。