黄泉からわたしに呼びかけるは、指呼の間に迫り枕頭に立つ、小康状態の時のじいさんだろうか。そういえばロックの日は彼の誕生日、仏壇に向かい仄聞の看経を、数珠を手にして朝餉もとらず婀娜なる様子にて行う。去年(こぞ)はこんなことはしなかった。冗漫なる行為はこのあたりにして、鳩尾に塗炭の苦しみ。広壮だという建物もいずれは禅譲、雄渾な要衝としての役割もどこへやら。今や糊口の資を得ることは必定といえど、安普請。天瓜粉も擂粉木も螺子も撞木も独楽も土竜も吹き飛びそうな風により、瑕疵を追う。せまるは縊死。不如意に思いながらも、そんな長閑な木曜日。


今日は、明日の試験に備えて勉強をしました。時事をやっていたけれど疲れたので、教養を今一度振り返ろうと漢字の読み書きをやることにしたわけだけれど、結局パソコン時代の弊害が、という言い訳をしつつ、書けない漢字は山の如し。参考書を見ながらできなかった問題の解答を切り取り、こうして文章にしてみたわけだ。
ポストモダンみたいになったかな?ちなみにじいさんの誕生日っていうくだりは真実。