昨日はコーフンして、あれだけしか書かなかったけど、とりあえず、自分の未来が定まったことに嬉しさと不安を交錯させている時間が続いています。

昔から文章を書くことが大好きで得意で、すごく速かったわたしは、いつからか文章にたずさわる仕事がしたいと考えていたわけです。

でも、就活を始めるときに、マスコミの仕事っていうのは誰もが憧れているものだと気付くのです。そして、それになるためにはとてつもない時間と労力を惜しまずに努力している人が多いのも、わかったのです。

たとえば、新聞記者になりたい人だったら、そういうサークルが大学にあったりする。文芸部とかもあったりする。そういうところで、将来なりたいものを真剣に見据えて修行をするわけです(もちろん楽しみながらもあるのでしょうけど)。
あとは、ダブルスクールみたいな感じでマスコミ塾みたいのがあったりします。かなりお金もかかります。

そうやって、憧れて、努力を重ねている人が世の中にゴマンといるのです。もちろん、わたしより語学力もあって、一流大学で学んで、っていう人たちが圧倒的に多いんです。

だから、おそらく大学在学中プラプラと何も考えずに遊んで過ごしてきたわたしみたいな人間がそんな人たちに戦いを挑んだところで、足下にも及ばないだろうことは火を見るより明らかでした。

でも、適性検査をするとマスコミ・編集職しか一番になるものはなかったのです。

人にレポートを読んでもらうと、わかりやすくて面白いといってもらえたことも少なからずありました。それに気を良くしたのもあるかもしれません。

でも動くのが遅かったわたしに残っていたチャンスは少しだけしかありませんでした。それが、あの公共放送のテレビ局だったわけです。

ESが大量で、諦めかけながらやっとの思いで仕上げた程度の出来で提出し、大多数をそこで振り落とすとわかっていたので、まったく期待せずに結果を待っていたら筆記と一次面接に来るように通知が来ました。正直驚きました。どんな形式の筆記試験なのかすらわからず、勉強もほとんどせず、まわりが論文対策などといって得意のもちネタを用意しているなどという予備知識すらないまま、わたしは試験に行きました。そして、そこでも既定よりかなりのスピードで論文を仕上げました。一般常識はまったくわからず、マークだったのでミラクルにすべてを賭けました。

翌日に面接を一対一で受けました。面接官の元記者の方が、びっくりするほどベタ褒めをしてくださって、「君のESを読んだのを覚えている。面白かったから、僕は高い点をつけた」だの「君は文章がとても上手い。ウチに落ちても、必ず文章に携わる仕事をしなさい」だの「君は強かやな」だの、とにかくいろいろな褒め言葉をいただきました。

何が幸いしたのか、二次面接にも呼ばれました。相当タジタジで、大阪の局のエライさんと面接でしたが、なぜだか最終に呼ばれることになりました。

気付いたら、近畿地方では記者職がすでに、わたしと、男の子二人という三名にまで絞られていました。局長級面接をして、結果を待ちました。結果は、最終落ちでした。

女子1人まで絞られていたから、かなりショックでした。相当荒れました。

そっから、やっぱりどうしてもマスコミに行きたい気持ちがヘンに熱くなってしまいました。秋の若干名採用の新聞に賭けました。新聞社の試験は、全国紙はほとんどが同じ日程でぶつけてきます。ここですでに、本当に行きたいところと、いけそうなところを取捨選択することを迫られるのです。

わたしは、左寄りなあの大きな新聞社が大嫌いだったので、ちょっと右よりでワンコインで買える新聞社を受けることにしました。うっかり整理記者で応募していたので、そっちに方向転換して受けざるを得ない状況にしてしまい、自分で自分の首を締めてしまいました。最終のいっこ手前で落ちました。感触は悪くはありませんでした。

もはや他の仕事に就こうという気力もなく、わたしは就職浪人することを決めました。大学入学前にも1度浪人をしています。しかも女子です。英語はまったくできません。かなりリスキーな賭けでした。

既卒で受けてきた今年も、懲りずにあの放送局を受けました。もう自由論述のネタもない、と思いながらも去年のものをベースにしてソツなく作り上げた書類を提出しました。去年最終へ残ったとて、あっさり今年はES落ち、なんてことはまったく珍しくない業界です。落ちることもかなり覚悟しました。けれども、今年もESは通過しました。やはり、まぐれではなかったんだなという思いを一層強く抱きました。

マスコミなんて簡単に受かるはずがないと考えていたわたしは、マスコミを受ける前は理想と現実をうまく考えて、食品系の会社にESをたくさん出していました。企画の仕事がしたかったからです。けれど、実は女子にとっては食品会社のほうが厳しかったのです。英語もできず大学も超がつくほどの一流ではないわたしなんて、食品会社から願い下げだったわけです。セミナーにすら呼んでもらえない日々が続いたのでした。

けれど、マスコミに出したESでは負け知らずでした。共同通信なんてところにも通過しました。そして今年も放送局のES通過です。かなりの自信につながりました。

てことで、去年よりは多少勉強して筆記に臨みました。それでも手ごたえはありませんでした。論述も、去年ほど上出来とは思えませんでした。ここで終わりかもしれないと覚悟しました。一次面接も去年ほどの感触はありませんでした。

けれどやはり今年も二次面接に呼ばれました。去年と同じ面接官でした。悪くはない面接でしたが、今回はそこで終了となってしまいました。

地元の地方紙では、また書類を通過して、筆記もなぜか通過して、面接に呼ばれましたが、去年と同じく敗退しました。

今回内定を頂いたところは、去年受けたことはなく、実際、ゼミの教授に「こんなところがあるよ」と勧められるまでまったく知りもしないところでした。

筆記試験の人数も少なく、面接に呼ばれた人数もしれていました。この中から何人採用されるのかわかりませんでしたが、何人蹴落とすかよりもとりあえず自分がベストを尽くせば採用されるとの思いで面接に臨みましたが、先日ここに書いたとおりまるでダメな面接でした。

しかもそれで最終だったなんてつゆ知らず。3日というスピードで採用通知がきて、正直自分自身も混乱気味です。

いくら小さなところだとはいえ、自分の実力が記者としてやっていける、やっていかせたいと思っていただけるくらいには認められたのです。

様々なギャップに悩むこともあるだろうし、正直、知識に偏りのあるわたしはこれから鬼のように勉強しなければなりません。

けれど、希望の仕事に就ける人というのは、それほど多くはありません。わたしがそうだったように。だから、この初心を忘れずに働いていきたいと思います。

というわけで、それをここに残しておきます。


何が嬉しいって、このままうまく仕事が軌道にのってくれれば、わたしは結婚しなくても1人で生きていけるのです。お金さえあれば、大抵のことはなんとかなります。それがじつは、何よりもわたしを安心させてくれるのです。

さあ、これで免罪符は手に入れました。もうニートなんて呼ばせません(つーか最初からニートではない。フリーターです)。勤務開始は来年度からです。

どうやって、この贅沢な時間を過ごすべきなのか。この先のわたしを生かすも殺すも、それについてくるのではないかとすら思います。与えられた時間を、存分に有意義に使いたいと思います。

とりあえず、昨日まずわたしがしたことといえば、「働きマン」を読んでモチベーションをあげたことです。